私を長らく苦しめてきた思考パターンに、こんなものがありました。
それは、
「正しい」/「間違っている」というジャッジ。
私は自分は正しいことをしていると思っていたし、だからそれとは相容れない考えは間違っていると本気で思っていました。
実際、そんな考え方していったいどういうメリットが有るの?っていう生産性のない考え方ってあるじゃないですか(笑)
だから、例えば、「その仕事、ちゃんとお客さんのほう向いて仕事してるって言えるの?上司の顔色伺っているだけじゃん!そんなのおかしいよ!」とか言ってました。
まあこんなことこんな調子で言ってたらそこそこ嫌われるわけで…。
「陽子さんの言うとおりだよ!そんなのおかしい!」って目が覚めてくれる人はそう多くはなく、そのことにも納得行かないという悪循環でした。
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ここ数年はやっとそんな私もまともになってきて、ようやく、みんながみんな正しいと思えるようになりました。
Aさんの主張とBさんの主張は、確かに観点が違うけど、でもどっちも1点の隙もないくらい正しくて、だからこそお互いの主張の正しさから一歩も出られないのだということがわかるようになりました。
昔の私は、自分の価値観(正しさ)が絶対で、他の人の正しさの意味がわからなかった。
でも最近の私は、もちろん自分は自分で正論なんだけど(笑)、「なんだかみんなの言ってることもむちゃむちゃ正論だなー」と思います。
正しさをぶつけあっているのも、てんですれ違っているのも、はたから見ていてよくわかるから、切なくなります。
この前、社員を褒めるという話で社長と話したときのこと。
「テストの点数が上がってたら、自分が頑張ったとか成長したってわかるだろう。なんで先生に褒められないと(成果や成長が)わからないのかなあ」
「社員もそうだろ、ギャラが上がれば褒められなくたって評価されているんだし、上がらなかったら評価されてないってことだろ」と。
むちゃむちゃ正論…ほんとおっしゃるとおり。
先生に褒められて嬉しい気持ちは決して悪いものだとは思わないけれど、先生が褒めてくれないとできないってのは違う。
違うんだけど、「ありがとう」のスマイルゼロ円がものすごい大きな価値として感じられる人もいるってことも、正しいんだと思う。
まあ、私は、どっちもほしいんだけどね。賛辞もギャラも。
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