あざらしくんとは何もかもが合わないから、会話が噛み合わないことはしょっちゅう。
得意としていることも間逆なので、サポートし合えるときはいいけれど、
出来ない方に関しては、お互いどうしてできないのか本気でわからなく、理解に苦しむ。
そんな私達のエピソードを披露すると、「なんで結婚したの…?」と言われることのほうが圧倒的多数。
確かに私もそう思う。
思うけれど、当時の私は、自分にできることが自分だからできるのであって、それができない人がいるだなんて知らなかった。
例えば、私は一度通ればだいたいそのあたりの地理関係は頭に入るのだけど、あざらしくんは何度同じ方向から通っても入っていかない。
今のマンションに住んでもう6年くらい経つけれど、我が家からアクセスしやすい3つの駅からその日によって使う駅を未だに選べない。
このことは、私にとってはまったく想像もできない領域の世界の話なのだ。正直言って、今でも。
同様に、彼から言わせれば、未だに外人が全員同じ顔に見える世界が想像つかないらしい。今でも。
だから、思う。
その「自分にとっては当たり前のことが、他の人にとっては当たり前でもなんでもないこと」を結婚前の段階で理解できない、いや気付けることすらできるわけないのが現実なのだ。
では、なぜ結婚したのか。
それは、一言で言えば、ともに成長できると思ったからだ。
私の人間関係は、「今」の話で盛り上がれるかが基準。
過去のつながりがいくらあったとしても、恩人でもない限りは、「今」のお互いの話がしあえないならば、疎遠になってしまう。
昔話でしか盛り上がれない友達は私にはいない。
そう考えた時、2人の成長スピードがうまくバランス取れていることが、長く人間関係を維持していくための条件ということになる。
そのスピードが一緒なら、あるいはお互いに良い影響を与え合えるなら、なんとかうまくやっていけるだろうと。
この見立ては的中した。
あざらしくんの口癖は「陽子に負けないようにがんばるよ」で、このセリフで仕事もするし家事もしてくれる。
あざらしくんに「今日はお洗濯して、ブラーバかけて、仕事もちゃんと進んだよ」と言われたら、私もしっかり家事をやらなきゃと思う。
お互いにひとつひとつ実績を積み上げたあとは、お祝い(もしくはお疲れ様)のご範に行くことができる。
どっちかだけで偏ることなく、お互いに、できている。
先日、友人に言われた。
「あざらしくんは、陽子さんというひとの熱量を理解することができる。
これができないと、陽子さんの夫は務まらないよ」と。
その時は笑ったけど、あとあと、ものすごく腹落ちした。
「なんでそこまで頑張るの?」なんて言ってくる人とは私はやっていけない。
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