小学生の頃から大人とやりあってばかりだった。
大人の理屈を理解できなかった私は、結果的に反発することになったのだが、別に反発したかったわけじゃない、ただ理解できなかっただけ。
今でも覚えているのは、まだ小学生の頃、男女雇用機会均等法が施行されたこと。(1986年)
こうしてどんどん女性が社会に出ていけるようになるなら、一生結婚なんてしなくてもいい。男に頼らない仕事ができる女性って、当時の私にはめちゃくちゃかっこよかった。
そんな話を大人にしたら、「あのね、結婚『しない』んじゃなくて、結婚『できない』んだよ」と言われて、めちゃくちゃショックだった。
「そんなことないよ!結婚しようとすればできるんだけど、男なんて必要ないからしないんだよ!」と怒ったけど、全然相手にしてもらえなくて、「まあ、大人になればわかるよ」と流された。
実際自分が大人になって、20代で結婚して、今は身の回りにもシングルの女性がたくさんいる中であの発言を考えると、「そんなことないよ!」と怒り狂うことはないし、なんならどちらかというとあのときの大人寄りだ(笑)
別に「結婚『できない』」のが悪いわけじゃない。能力でもなんでも無い。
ただ、結婚は、間違いなく、結婚相手に「合わせる」側面がそれなりに必要だ。
自分を相手に合わせてやっていくことは、とても難しい。
見かけは仲良くやっていくことは、そんなに難しくないかもしれない。
でも実際のところは大量の気遣いのうえで成り立っている関係で、本人たちは無自覚だけどやたら女性がペコペコしている夫婦なんて死ぬほどいる。でもそれは「従っている」のであって、「合わせる」とは言わない。
あるいは、ただ一緒に生活しているだけで、お互いのことなんかなにもわかっていないという薄っぺらい夫婦も死ぬほどいる。お互いすり「合わせて」いない。
昔の時代の結婚なんて、今よりももっと「従っている」結婚だったり、「すり合わせていない」結婚だったりしたと思うけど、それでもまあ生きるためになんとかうまく「合わせて」いこうと思うだけの覚悟は、あっただろう。
でも、均等法でそんな覚悟をしなくてもよくなった。
「これしかない」と思うしかない環境だったから我慢できたことが、他にも選択肢が増えることで我慢がきかなくなる。
我慢はおおむね「良くないこと」だし、選択肢が増えることはおおむね「いいこと」なのだけど、「できない」か「しない」かで言うのであれば、ポジティブな意味での「できない」だろう。
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