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【雑感384】存在を認知していないのが現実

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社会人になってからというもの、仕事を「教えてもらう」という経験をあまりしたことがない。

いや、正確には、

私が「『教えてもらった』と思っていたことは、ただの『指示出し』だった」のだと、育成の立場に立ってはじめてわかった、ということなんだろう。

授業の前には塾生のノートを見て予習をチェックして、うちは予習が前提で授業するから。
翌週には確認テストがあるから答えを言い忘れるとかはないように。
塾生になんか変なことあったら、親御さんに電話して。
報告書はこう書くから。

そういう感じ。

なので、業務において特に滞りはなかったと思うし、わからないことは聞けば教えてくれたし、

というか、毎日授業の準備で睡眠3時間だったから、そもそも日々生きるので精一杯で、自分に向き合う時間も余裕もなかった。

若手だったり業務に通じていない人に「教える」ということは、単なる情報伝達じゃない。

例えば何かミスをしたとき、そのミスが起こる理由は必ずある。

その原因は一言で言ってしまえば「確認不足」なのだろうけど、その背景にある「認識不足」を補ったり「認識の相違」のところを合わせていかないと、同じことは絶対に起きる。

だけど、そのへんまでまったく話をせずに、単に「気をつけて」だとか「ちゃんと考えて仕事してよ」だとか「なまけるな、やる気あんのか」だけで終わる会話がほとんどだと思う。

「認識不足」の話ができたとしても、不足してそうだとこちらが判断した内容を一方的にアナウンスして終わり。

実際本人が何についてどこまでわかっていないかを、「確認不足」のまま、注意するという業務をしているのだ(笑)

私の育成経験からすると、いちばん大事なのは、「認識の相違」をすり合わせることが、一番たいへんで一番めんどうくさいけど、一番確実に効果がある。

すれ違いが起きているときは、確実に認識が違うのだ。

それは例えばこの写真のように、わかっている人にとっては確実に可愛がる対象なのに、わからない人は存在を認知すらしていないのだから(笑)

この写真を単に微笑ましいものだとしか見えない人は、間違いなくこうやっていろんなことをスルーしているのだと思います…。

 

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