やるべきことで1日が終わる人生を送っている人が、知らないうちに背負っているリスクの話を書きました。

「やるべきこと」だけをこなして毎日が終わっていく。
ところが実際には、そうした生き方に対して「やる気がないね」と指摘される機会は、驚くほど少ないのが現実です。それどころか、「言われたことをちゃんとやっている」という理由で、それなりの評価すら与えられてしまうことも多いのではないでしょうか。
だからこそ、自分が「やるべきことしかやっていない」という自覚を持つことは難しく、そこに問題意識を抱くこともまた難しいのだと思います。
でも、正直に言ってしまうと、それは「やるべきことをちゃんとやってさえいればそれでよい」という立場にいるから許されているだけの話です。そこから一歩進んで、自ら「結果を出すべき立場」になれば、そんな受け身の姿勢が許されることは決してありません。
厳しい言い方をしてしまえば、現状「やるべきこと」だけで評価されているのだとしたら、それはまだ「その程度の立場」であり、「その程度の人間関係しか築けていない」ということの裏返しでもあります。
少なくとも私は、やるべきことだけで一日を終えている人と話しても、ものすごくつまらないと感じてしまいます。それどころか、会話の端々から伝わってくるものに不快な思いをすることも多々あるため、そういう時は率直に指摘するようにしています。

↑多分、こういう顔をしています(笑)
ではなぜ、「やるべきこと」を真面目にやっているのに、評価してくれる人と不快に思う人がハッキリと分かれてしまうのでしょうか。
評価してくれる人というのは、その「やるべきこと」を判断し、設定している側の人間です。
例えば仕事であれば、上席であったり組織全体。プライベートであれば、その関係性において強い影響力を持つ人(親や夫、親戚など)、あるいは「社会通念(世間)」といった存在がそれにあたります。
一方で、不快に思う人というのは、それ以外の人のうち「やるべきこと」ではなく「やりたいこと」で一日を過ごしている人たちです。(もちろん、「やるべきこと」に追われている人同士でも、同族嫌悪でムカついているケースはあるかもしれませんが)
「やりたいこと」をやっている人間は、「やるべきこと」だけで生きている人に対して、他人の判断基準に従属していること自体はもちろんのこと、その根底に潜む「他責思考」を敏感に感じ取ってしまいます。だからこそ、不快感を覚えるのです。
言っている本人は、全く他責にしているつもりなどないのでしょう。
しかし、実際に自分が発している言葉を文章に書き起こしたり、客観的に聞いてみたりすれば、自分がいかに愚痴っぽく「自分は悪くない」「やらされている」という話ばかりしているかに気づけるはずです。
「誰だって、愚痴の一つや二つくらい言うよね」と思うかもしれません。
でも、自分の意思で「やりたいこと」をやっている人間の日常生活には、そもそも愚痴というものが存在しないのです。
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