私はわりと人見知りするのだが、誰にも信じてもらえない。
家族や学生時代の頃のように四六時中一緒にいる人にならわかってもらえるけれど、それ以外の人には「えーそんなふうにはぜんぜん見えない」と言われる。
今までは正直ちょっと不思議だったのだけど、今は信じてもらえないのもわかる。
だって、その人見知りな自分を、出してないもん。
だって、せっかく私と同じ場所同じ時間を共有してくれているのに、
こっちの都合でだんまりになって相手に気を遣わせるのって、私は決して良いことだと思わないから。
「私は●●なんで…」の●●があまり良くないことなら、なんとかしようと思わないのかなって思う。
だから、それを口に出しちゃうって、相手に理解を求めることとイコールだと思う。
先日のこと。
弊社の採用面接に来た学生が、面接会場である工場ではなく、本社に行ってしまった。
地方から来るということもあって、交通案内を事細かにしたにもかかわらず。
わけを聞いてみると、「途中からわからなくなってGoogle先生を頼って…」と。
聞いたこともない駅で降りて、聞いたこともない行き先のバスに乗って、聞いたこともないバス停で降りて、歩いて1分の距離を5分ほど歩いて、本社に行ったのだ。
Google先生を頼るのはわかる。
本当はわからなくなったら電話してほしいし、そこも必要な能力として求めているけど、でもまずはGoogleってのは私はわかる。
でも、そこに表示されているものにまったく聞き覚えがなかったら、さすがに問い合わせてほしかった。
ぶっちゃけ、思う。
働いたら直接の上司になる人間よりもGoogle先生を信じるのかよ。
*
上記の人見知りの例と今回の学生の例は、人見知りさんに言わせたら一緒にしないでほしいかもしれないけれど、私からすればたいした違いはない。
別に悪気があって人見知り宣言しているとは思わないし、学生だって私よりもGoogleの方が確実だなんてもちろんそんなことは思っていないだろう。
でも、その行動を外から見たら、そういう解釈になってしまう。
普段会社で若い子たちに毎日のように言っているけれど、いいトシした人にもこういう人ゴロゴロいるんだよなー。。。
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