サービスを売っている以上、求められているものについてはそれなりに意識を払ってきたつもりだ。
だけど、「価値のあるもの」の定義がどうも一面的になってしまうのが私の課題。
高級ホテルのラウンジでのお茶会は一見するとバカバカしいけど、これをドトールでやったら来なくて、ラウンジだったら来る理屈はなんとなくわかる。
ハレの日、というか非日常を自分でいくらでも作れるなら、そもそもこんなお茶会なんか来ない。
自分では作れないから、誰かが作ってくれたところに行くわけで、ドトールのお茶会だったら自分でもできるわけで。
だから、自分ひとりでは高いラウンジのお茶代なんて払えないけど、誰かの企画してくれたハレの日お茶会なら、払えるのだ。
ドトールのコーヒーとラウンジのコーヒーは、実はドトールのほうがおいしいかもしれないけど、「価値」の感じ方次第でいくらでも変わる。
一方で、セブンイレブンがはじめたおにぎりやおむすび権米衛の成功はまったくまた別の理屈で、「日常」を成り立たせるために必要なこと(=時間とご飯を炊く手間暇)に価値を感じた人に支持された。
外食というのは、非日常でハレの日だから、例えば洋食なんかが対象で、間違っても塩むすびなんてありえない。
でも、実際は爆発的に売れるどころか、中食という言葉まで作った。
つまり、「家で食べないご飯」というより、「家で作らないご飯」の価値を感じた人に売れた。
ちなみに私はこのふたつにあまり価値を感じない。
おむすび権米衛をお昼ごはん持参の場所か新幹線に持ち込むくらい。
でも、あざらしくんは価値を感じてお金を払っている。
まあ、ラウンジの代わりにスタバだけど。ドトールやマックじゃなくて、スタバを選んでお金を出してる。
何に価値を感じるか。
価値が多様化したから商売が難しくなっている現代、会社や組織に属する人生を送っていたとしても、このことについて考えるのは避けて通れないと思っている。
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