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【雑感056】「当たり前」にこそ強みがあるってどういうことか

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自分の好きなことも強みも行動してみないとわからない。

自分の「当たり前」にこそ強みがある。

このことについて、なんだかちょっと意地悪な結論がひとつ出てしまった。

 

私の手帳講座は、もともとは自分の日常としてやっていたこと。

ある日知り合いに「何その手帳?」と初めて言われたときは「アクションプランナーです」と答えていました(笑)

今でこそこれがだいぶ的はずれな回答だとわかるのですが、当時はその質問の意図がまったくわからず。

アクションプランナーユーザーは珍しいということはわかっていたので、てっきり手帳の名前を聞かれたと思いました。

 

ようやく、いわゆる手帳にそこまでがっつり書き込むことは珍しいということはわかったものの、そうは言ってもこっちとしては思ったことを書いているだけで。

「どうしたらそうやって日記を書けるんですか?」と言われているようなもの。

「いやなんとなく…」以外の返事以外なんてないです(笑)

 

それでも、そのきっかけが私も所属しているコミュニティ内でのことだったので、みなさんからの質問でようやく少しずつピントが合ってきました。

そうは言っても、多少質問が具体的になったところで、日常生活を言語化するのは難しく…。

「なぜペンの色はこの色なの?」「いやなんとなく…」な会話をかなり長い間続けることになりました。

それくらい、私にとっては「日常」だったのです。

 

ここまで書けばわかっていただけたでしょうか。

私にとっては手帳も時間管理もこんな認識なので、これを人に伝えようと思うに至るわけがない(笑)

おまけに佐々木かをりさんがちゃんとした本を出されているので、本当にハウツーであれば、佐々木さんの本や講座を利用するのがいちばん。
(現に私も本を読んで講座に参加しました)

 

でも、こんな「日常」そのものだからこそ、自分の中に蓄積されていくハウツーはかなりのものになる。

だから、きっと私は講座という形で人に伝えることができるまでのものになったんだ。

無意識レベルで呼吸をするように積み上げてきたからこそ、圧倒的な物量がそこに存在するのだと。

 

そして、それは自分にとっての日常だから、誰かにとっても日常だと思っている。

実際のところは、自分の以外の人にとっては日常でもなんでもないのだが、その結論自体は別に嬉しいことじゃない。

でも、同じようにやって結果が出たとか成長できたと言われたら、それは嬉しいことだ。

 

一方、自分のもっているものが人よりもちょっと優れていると認識できるわかりやすい例は「こだわり」だろうか。

でも、思う。

こだわりだからこそ、それは特別で、こだわりだからこそ、それは一般化できないんじゃないかと。

自分は他の人と違う、自分の知識はそのへんのレベルと違う、ということは、他の人がついていけないレベルなんじゃないかと。

そして、その「違う」ことに価値があるんじゃないかと。

だから、いわゆる「こだわり」を自分の強みとして認識することは、自己完結してしまって幸せな結果になれないのではないかと思う。

 

なんだかちょっと意地悪な結論がひとつ出てしまった。

それなりにこだわりをもってやっていると自覚していることは、結局行き着く先がその程度(=自己完結)で終わってしまうから、

本当にとことんドハマリしている日常そのものの人にとっては「そんなことくらいでこだわりっていうのか…ププ」というレベルかもしれない(笑)

 

*おまけ*

今日のアイキャッチ画像が親子丼なのは、私の卵への愛情はこだわりを超えているとあざらしくんが言うので(笑)

 

 

 

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