「やりたくないなら、やらなくたっていい/やらないってことはやりたくないってこと」と私はよく言っているけれど、これがそのまま文字通りすとんと解釈されないことも多い。
例えばそれがいわゆる「普通の人が普通にやっていること」であればあるほど、「やらない」ではなくて「やれていない」という解釈になってしまうのだろうか。
ちなみにちょっと話はそれるけれど、誰もそうは言ってないのに、このように「解釈」するのは思考の癖。よくネガティブ思考とか言われますが、そのことそのものには良い悪いはない。
現に普通の人が普通に取れる成績(=平均点)以下だと頑張らなきゃって危機感が芽生えますが、それって決して悪いことではないし。
話は戻って。
たとえそれが一般の人が普通にやっていることでも、やりたくないならやらなくたっていいってことが言いたいのだ。
家の中を片付けるよりダラダラしているほうがいいならそれで全然いいし、
自分にはとりたててスキルがなくたって、だからと言って別に努力してスキルを身に着けなきゃいけないわけではないのだ。
こういう具体例を挙げるとまた「やらない」ではなくて「やれていない」という解釈になってしまうのだろうのだろうけど(笑)
私はなんでここまでやりたくないことを思考や行動から削除することにこだわるかと言えば、
時間管理の観点から(持ち時間には制限がある)というのが一番わかりやすいので今まではそのように説明してきた。
だけど、もっと根本の話をするならば、やる理由がないことについては人間は動けるわけがないからだ。
こんな私の思いがNewspicksの記事でも同じような内容のものがあった。https://newspicks.com/news/2878817/body/?ref=search
健康管理のために何をやるかではなくて、なぜ健康管理するのかというのが大事だという話。
健康でいなきゃいけない理由があるから、健康管理を徹底するのであって、そこに時間もお金も手間もかけられるのは、それだけの理由だからという話だ。
それだけの理由がないなら、別にそこまで頑張れなくても、お金をかけられなくても、仕方ないし、それでいいのだと思う。
私自身も心と身体を健康に保つために、時間もお金もかなり投下していると思うけど、そこまでする理由があるから。
そして、心と身体を健康に保つということを優先順位第一位にしつづける理由があるから、あまり大事なものではないことは根こそぎ削り落とすことができるのだ。
そこまで捨てられないという話をよく聞くのだけど、それならそれでいいのだと思う。
まあ要は一言で言えば、誰のために、何のために、なぜそれをやるのかがハッキリしないなら、それはできないんだよってことで。
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