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【雑感079】私にとっての読書

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読書の秋、ということで、私にとっての読書について考えてみた。

読書(インプット)は能力開発ではないと明言している私だが、そもそも読書はかなり好きなこと。

そのへんの「趣味は読書」の人よりも読んでいるという自信もあるし、本に救われてきたと言えると思う。

もちろん好きなだけでなく必要性も実感しているので、読書の時間も取っているし、それなりの数を読もうと思っている。

月に10冊を目標としていて、それなりに読めている。

 

 

「『読書(インプット)は能力開発ではない』とまで言うなんて、じゃあどんな本を読んでいるの?」と聞いてくる人が今までいなかったので、こんなふうにかっこつけて言い切っていたわけだけど(笑)、

実際私の読んでいる本は実はあまり実用的ではない。
(10年プロジェクト内部では読んだ本の名前書いてます)

最近の私のヒットは発達障害の当事者のエッセイや医療従事者の書いた解説のような本。

とあるきっかけがあって、知識を得るために読み始めた。

知識が増えるにつれて、この障害のしんどさというか生きづらさに意識がいくようになってきた。

実は周囲に発達障害の傾向がある人がいるので、その人ができないいろいろなことの謎が次々と解けていった。

そして、発達障害はかなりの割合で遺伝する。だって、個性だから。目鼻立ちが似ているのと同じようなことなのだ。

発達障害の当事者は、人間関係で問題を抱えやすい。

つまりは、できないことが多いがゆえに否定されるという被害者的な側面もあれば、人の気持ちに配慮できないことからくる加害者的な側面もある。

周囲の人間、特に家族は、この加害者的側面について傷つけられた経験が必ずある。

私もそうだった。「これって、障害から来ることだったんだ…」と知ることは、少なくとも私にとっては救いになった。

こうして、自分の「普通」が自分のものでしかないこと、加害者的側面は実は相当追い詰められての結果だということ…などなどがわかり、発達障害じゃない人たちについても認識が変わっていった。もちろん、自分に対しても。

認識が変わることは素晴らしいと思うけど、でも、それだけじゃ意味がない。

発達障害の話で言うならば、当事者とのかかわりを良くしたり、自分の講座に活かしたりして、はじめて意味があるから、読書だけでは能力開発とは言えないのだ。

 

ちなみに小説も良く読む。

これも、世界を広げるため。

フィクションではあるけど、実際に会って話す人はここまで詳細に語れないしさらけ出してもくれないので、私にとっては自分の中にはないものに出会う場だ。

 

 

 

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