「強み」というのは、自分が意識せずとも当たり前のようにできるレベルのことを言う。
だから、それを指摘されても「えっこんなの普通だよね?」と戸惑うだけで、納得感はないことがほとんどだと思う。
だからこそ、
「強みを活かして活動(仕事)をする」というのは実はとてもむずかしいことだ。
学んだ知識を活かす、は誰でもできる。
悔しい思いやしんどかった経験を活かすことも誰でもできる。
でも、「当たり前」を活かすのは難しいはずだ。
私の手帳を使った時間管理講座は、佐々木さんという商品化した人がその価値を証明してくれているからまだ簡単なほうだった。
それでも、「本に書いたとおりにやってるだけ」という「当たり前」の壁は大きかった。
本のとおりにやればみんな私と同じようになるはずだ。現に佐々木さんの見本と私のはほぼ同じものだし。
だから、本も出ているのに、それを「私が」敢えて人に伝えようなんて思えるわけがない。
でも、今なら、「当たり前」の強さがわかる。
「当たり前」というのは、「日常化している」ということだ。
時間管理をすることが私の「日常」そのものだからこそ、私の中に蓄積されていくハウツーはかなりのものになっている。
私が講座という形で、初対面の人に自在にアレンジして伝えることができるまでのものになったのは、無意識レベルで呼吸をするように積み上げてきたことで、圧倒的な物量がそこに存在するようになったからだ。
時間をかければ誰でもできるのも、なにか特別なことではなく、日常の積み重ねだからこそ。
日常だから、特別じゃないから、他人にも出し惜しみなんてしないでシェアできて、みんなが幸せになれるのではないか。
一方、自分のもっているものが人よりもちょっと優れていると認識できるわかりやすい例は「こだわり」だろうか。
でも、思う。
こだわりだからこそ、それは特別で、無意識レベルで呼吸をするように積み上げられないのでは。
そして、自分は他の人と違う、自分の知識はそのへんのレベルなんかじゃない、ということは、実は内心では他の人には真似されたくないはずで、それが表に出てしまうのではなかろうか。
だって、その「違う」ことに価値があるわけだから。
だから、いわゆる「こだわり」を自分の強みとして認識することは、周りの人にそれを本当の意味でシェアできなくて、幸せな結果になれないのではないかと思う。
なんだかちょっと意地悪な結論がひとつ出てしまった。
それなりにこだわりをもってやっていると自覚していることは、ドヤ顔でシェアしたくなって、ある程度は感謝されるかもしれないけれど、結局はその程度で終わってしまうだろう。
本当にとことんドハマリしている日常そのものの人が見たら、「そんなことくらいでこだわりって(ドヤ顔で)言うのか…ププ」というレベルかもしれない(笑)
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