あざらしくん一家は自己主張をしません。
とにかく和やかに過ごすことを好みます。意見の相違があると、それはぶつかり合い(下手したら喧嘩)と解釈される。
希望を聞いても、「なんでもいい」と全員から返ってくるこの一家で、いったい何が進んできたのだろうかと結婚当初は不思議でしょうがなかったし、今も正直謎です。
年始に、義母にエンディングノートの話をしました。
ネガティブなことからは考えもせずとにかく距離をおきたがるので、終活という言葉は知っていたけれど、エンディングノートの存在は知らなかったようでした。
財産の話についてははっきりさせる必要性を自分でも感じていたようだけど、それ以外のことについては考えていない(考えたくない)という。
私はもうなんだかんだで5年くらいエンディングノートを書いています。
なぜなら、自分の人生は自分で作りたいという思いに、もちろん死ぬことも含むから。
余命が限られた病気になったらこうしてほしいとか、死んだら誰に伝えてほしいとか、残したデータはこう処分してほしいとか。
死ぬ準備ができて死ねる人なんてほとんどいないから、こういう希望は基本誰かの手を借りて叶えるもの。だから、その意思表示を残しておかないと実現不可能だから。
そして、このノートは残された人へ私ができる最後のことになると思っています。
私が死んだら、家族はみんなそれなりに悲しむと思います。私は大好きだったサークルのOGの先輩に死なれたことがあるからわかるんです。本当に、しんどかった。
だけど、辛いのを乗り越えてもらわなきゃいけない。
エンディングノートに残された私のわがままをひとつひとつ叶える作業は、その辛さを乗り越えるのに実に有効なプロセスだと思うんです。
特に希望もないから負担をかけたくないからという理由で何も残さないことと、希望を書いたノートを残すことと、どっちが本当の優しさなんだろうか。
私は、その負担が癒やしのプロセスだと思うから、ちゃんと希望を残すことを選びます。
確かに、私にとって死ぬことはまだぜんぜんリアリティがなくて、だからこそクールに考えて残せるのかもしれない。
でも脳梗塞持ちのうちの母は私と同じ考えでノートをサクサク書いたから、いちがいにリアリティのなさからできることではないとも思っています。
結局、義母には、自己主張をしないことのひとりよがりさ、そして薄っぺらさを話しました。
なんて生意気な嫁(笑)
あざらしくん一家では、あざらしくんを変えた実績を持つ私は神なので、また少しずつ洗脳しようと思います(笑)
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