私は大学受験をかなりの努力の結果勝ち取ったのだけど、その努力のもとになったのは
「見返してやる」という気持ちがあったからだと思う。
もうほんと、周囲の大人たちはみんなして無理だ無理だと言い、鼻で笑われていたから…。
(親はよくわからないようで特にコメントなしでした…笑)
いわゆる負けず嫌いというカテゴリに属するであろう私はこういうパターンの努力って結構多いので、それ自体は悪くないと思うところは確かにある。
でも、「あなたならできる!がんばれ!」と励まされての努力だったらもっと結果を出していたかもしれないとも思う。
別に周囲の方々のせいにしているわけじゃないんです。
自覚のない身の程知らずだったところもきっとあったと思うので。
でも、本当に望んでいることなら、実力が足りなければ普通に努力するだろうし、
少なくとも当時の私がコツコツやる努力家タイプだというのはみんな知っていたのだから、普通に肯定してあげれば自走できたんじゃないかと思うのだ。
誰かがちょっと無茶なことを言ったとき、それを肯定してあげるのは、難しいかもしれない。
ときには無責任に感じてしまうかもしれない。
でも、人を信じるのも練習。
人を信じる練習をしていれば、いずれ、成功事例に立ち会える。
その成功事例が他人のものであれ、自分のものであれ、この目でしっかり見ることができたならば、まるで自転車に乗れるようになったかのように、「信じる」ことが自然とできるようになる。
私はこの大学受験をきっかけに、塾講師時代はとにかく指導力をつけ、信じる練習をしまくった。
高校生の実力が足りなくても、指導する側の力量次第でいくらでも伸ばすことができると思ったから。
無理だ無理だと否定していた先生たちよりも、ずっとずっと指導力のある講師になってやる、という思いで努力した。
結果、この塾講師時代の努力はいずれ伝説につながるわけだけど(笑)、それでも私は大学受験で否定されないほうが良かったと思う。
別に見返すためにしか努力できないほど私のなりたいイメージは弱くなかったと思うから。
あんな指導者にはなりたくない!と思いながら努力するよりも、あんな先生になりたいなと思って努力したかった。
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