以下は、instagramで発信していた、10年プロジェクトへのセンチメンタルポスト。
大晦日の夜、神戸で感じたことを、そのまま素直に書きました。(公開にあたり、一部編集しました)
いま、私は、ANA神戸発羽田行きの便を待っている。45分の遅延らしい。
カウンターのお姉さんは大層恐縮している。
それは、純粋に遅くなることで羽田以降の移動に支障が出るからだけでなく、
今日が大晦日で、24:00をまわってしまうことの意味が特別だからというのもあるのかもしれない、と思った。(羽田着は23:05の模様)
だから、どうやって帰るのかを聞かれたとき、「大丈夫ですよ。自転車で帰りますから」とニッコリ答えた。
お姉さんは安心したようだったが、あとになって「えっ?自転車って??」と混乱してしまっただろうか。
*
さきほど立ち寄ったスーパーのライフは、家族連れでとっても賑わっていた。
そんな中で、私はひとりで買い物している。
そして、ひとりでセルフうどんで2019年最後のご飯を食べた。
私は可哀想な人に見えるんだろうか、と思う。
東京では買えないものをスーパーで格安で買えて、
大好きなうどんと卵と唐揚げを食べて1年を締めるのは、決して可愛そうではない、いやむしろ幸せだ。
うどんをすすりながら、ふと思った。
幸せというのは孤独なんだと思う。
自分の幸せは、自分しか決められない。
自分が幸せだと感じることは、煎じ詰めれば、大衆の幸せ像とは異なってくることが決して少なくはないから、幸せは孤独なものになってしまう。
大衆と同じことをしていれば、外から見ても幸せだと思う。
外から「幸せだね」と言われたら、自分は幸せなんだと勘違いすることができる。
だから多くの人は、一般的に幸せとされていることをやる。
幸せは孤独。つまり、孤独を引き受けることが幸せの代償になる。
だから、多くの人は幸せを選ばない。
2019年の最後に10年プロジェクトメンバーと会えて、おひさまようこ活動で締めくくれて、私はとても幸せなんだと思う。
こんな年末を過ごしている人はなかなかいなくて、街中を歩いていても明らかに私のような人は見かけない。
だからもちろん孤独を感じる。
だけど、私ほど自分の幸せを忠実に追いかけて感じられている人はなかなかいないと思えるから、やっぱり私は幸せなんだと思う。
孤独を感じて幸せを感じて、行ったり来たりするのが、幸せの本当の姿なんだと思う。
10年プロジェクトの皆さん、2019年もありがとうございます。
いろんなことがあるけれど、この孤独をわけ合える仲間がいるということは、私にとって本当に本当にありがたいこと…!
また来年もよろしくお願いします。
みんなが幸せを感じたその次の瞬間に、孤独を感じたとき、ここが癒しの場となりますように。
大きな荷物を全部預けても、ふわふわ食パンだけは引っこ抜いて手元で大事にしているこの瞬間も、やっぱり幸せで孤独だと思うおひさまようこより。
神戸空港のベンチにて。
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