容赦ない格差社会がもう目の前に来ている。
教育に携わっているという立場からまずは気になったのは、子供の話だったので、まずはそちらから書いてみた。
私は、この新型コロナをきっかけに訪れる格差社会のポイントは子供も大人も同じだと思っている。
キーワードは「自立(自主)」だ。
大人は直ぐに結果を出さないといけないので、ある日いきなりクビになることも普通にあるという意味では、子供よりも過酷だ。
私はこの過酷さをかなりヒシヒシと感じているので、この自宅待機期間中もGWもひたすら自己研鑽に時間を使っている。
新人指導の一環で、3年めまでの新人は全員自宅待機期間中には日報を書かせている。(でも全員自宅待機になってから提出ができないので、書いたものを見てはいないのだけど)
新人だけの指導なのだけど、言い出しっぺのわたしが出さないのもおかしな話だと言われるのも面倒なので、新人以外で唯一私だけは書いている。
だから毎日8〜10時間超の活動の日報を毎日書いて、ガンガンシェアしているのだけど(笑)
こんな私の日報を見て、すごいとびっくりする大人も少なくないだろう。だって私の手帳はすごいとこんなにも言われるのだから。
*日報と活動結果付き3週間の手帳の実物はnoteマガジンにて*
だけどだけど、これをすごいって言ってるんじゃ、もうだめな時代が目の前なんだよ。
今回のコロナ騒ぎで、「リモートワークという自立した環境で成果を出す」のがデフォルトになってるんだよ、もう。
私の感覚では、なんだかみなさん、ずいぶんみんなのんびりしているように見えるんですよね。
新型コロナウイルスがおさまるまでは、まだまだ長期化する。
人と接触することをできるだけ避ける世界が、まだまだまだまだ続く。
普段人とかかわって当たり前の生活の頃には想像しづらいけれど、人の力を借りることができないということが、大人の格差社会の根っこにある。基本、全部自分でやらなきゃいけないのだ。
もちろん、完全に最初から最後まで全部ひとりでやり通すことが「自分でやる」ことではない。「自立」と「自力」は違うのだ。
できないことは誰かに頼むことも、結果を出すためには必要だ。
だけど、誰かに頼む分、「自分はこれで貢献しますよ」という部分で価値の交換をしていかないと、その人との関係は長続きしない。そして、自分にできる貢献を探すという姿勢が「自立」ということなんだと私は思う。
こういう発信をしていると、「私に提供できるものなんてなにもない…」と言う人と出会う。
もちろん、大きな声で「これが私の貢献できることです!」なんてなかなか言えない。私だってそうだ。
だから、いつも必死なのだ。「これが私の貢献できることです!」というものがほしいから、とにかく必死に練習する。時間をかける。繰り返し、繰り返し、やり続ける。
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