「他人に迷惑をかけてはいけない」と教わって育った人は少なくないと思う。
だけど、同じことだけど、本当はこう表現したほうがいいんじゃないか。
「人の力を借りて生きていることに感謝しなければならないよ」と。
最近、主宰している10年プロジェクトでは、ペナルティ込みの施策を始めました。
毎日の取り組みの宣言・報告ともに毎日の参加がベースになります。規定の時間までにできなかった場合はそれぞれペナルティとして罰金を課します。
今回は6周年をきっかけに「みんなでチャレンジしよう!」という機運が高まりまして。いまのところ誰も挫折することなく続いています。(今まで一ヶ月単位で活動しない人なんてザラだったのに💦)
今までは、自主性を重んじた運営をしたくて、原則的に強制的な手段は講じてきませんでした。
2019年の12月から「今、自分に向き合って思うこと」というタイトルで全員月イチでのアウトプット投稿を義務付けましたが、それだって、「義務化」にはかなり葛藤がありました。
実際にやってみたら、この人は向き合いたくないだろうな〜と思っていた人はきっちり全員退会していきましたが(笑)、逆に、それ以降の1年間はドロップアウトが誰もいません。
毎月投稿の持ち時間は決められた48時間のみという結構厳しい条件ですが、実は15名x12ヶ月、2回ほどのすっとばししかないんです。これってすごくないですか?(落とした率は約1%)
この経験を経て、そして実際にメンバーの「自分に向き合う」ことの中身が変わってくるのを見ていて、自主性というのは、かならずしも自分の意志100%のことを言うのではないのかもしれないな、と思うようになりました。
そもそも10年プロジェクト自体、それまで私がひとりで普通にやってきたことをみんなでやろうと始めたコミュニティです。
自分の意志に、外部からのきっかけや頑張っている仲間からの刺激を足して100%でいいじゃない、というコンセプトです。
そこで、今回は初の罰金制度を取り入れました。
実際やってみると「罰」ニュアンスが私の想像を遥かに超える強さで…。
「コミットしたのにそれを実行できなかった」という意味合いから「罰金」という名前を使っていましたが、とは言っても、その「罰」という言葉にはそんなに深い意味はなくて、「はい、ばっきーん!!」くらいの感じでした。
正直、「これだから真面目ないい子ちゃんはめんどくせー!」と思いましたが(笑)、せっかくの企画やせっかくのみんなの前向きな気持ちを活かしたかったので、「罰金」は「授業料」という名前に変えました。
ただし、コミュニティにその旨を伝えるときは、こんなふうに書きました。
*
「罰金」の意図が伝わってないなーと思い始めてから、なんでなんだろうと考えてきました。
(中略)
この10年プロジェクトというコミュニティの存在意義がまだまだメンバーに浸透していないんじゃないかなと思うのです。
このコミュニティは「人の力を借りまくる」ためのものです。
今回の企画は「一緒に頑張る仲間がいる」「負荷をかけてくれる(見張ってくれる、ペナルティを食らわせてくれるなど)仲間がいる」からできることで、やらなきゃいけないことでもないし、ペナルティにならないためにだけ必死になるものでもありません。
罰金という手段でペナルティとしての負荷をかけることができるのは、「払う人」と「受け取る人」がいるからですよね。
ペナルティを「ごっつあんです!」と受け取られて感じる「くっそー!!!」という気持ちは、仲間がいるからこそ感じることです。
失敗をしないこと、罰を受けないことに目を向けるのではなくて、なまけそうなときに叱咤激励してくれる仲間、夜眠気に負けそうなときにおそらく同じ時間に取り組んでいる仲間のことに意識を向けてほしいのです。
それは、設計者の意図でもありますが、成長していくためには必須の考え方だと思います。
というわけで、「罰金」という名称を「授業料」に変更し、ペナルティというニュアンスよりも学びのニュアンスを強くして、チャレンジを称賛する文化を作っていきたいと思います。
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