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【雑感204】良い評価は「当たり前」と思う

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感じ悪かったらごめんなさい。

だけど、わりと子供の頃から、私は良い評価をもらっても、あんまり嬉しいとは思わなくて。

というのも、それだけやっているから(それだけ実力がついて)、まあそういう評価になるだろうな、と冷静に思うからです。

大学受験も、実にまる3年かけてようやく勝ち取った合格ですが、その時はほっとした以外の何ものでもなく。「ああ、やっと終わったんだ…」というのが正直な気持ちです。

塾講師の頃も、体験授業に来た高校生が「他の塾も見てきたい」と言うので「なるほど、じゃあ比べておいで」と送り出していたら、上司から怒られました😅

「だって、(他と)比べたら、絶対(こっちのほうがいいって)戻ってくるから…」と1年目のくせにびっくりするくらい生意気な言い分だったことが、自分でも正直信じられないくらいなんですけど(笑)

でも実際ほとんどが戻ってきてました。それを別に自慢ともなんとも思ってなかったので、ドヤることもなく、上司や先輩にいじめられることはなかったのですが。

素で打率10割になれないことを悔しいと思っていたので、当時は仕事が楽しいとかやりがいがあると思ったことはありません。

毎日泣いていたけど、毎日笑っていたもいたし、そういうふうに仕事に全力で取り組めることは、今となってはすごく幸せなことだと思うんだけど、当時はそういう気持ちは1ミリもなかった。

それは今でも正直同じことで、コロナで学校での説明会ができなかったり、採用そのものをしていいのかという迷いがあったりと、思い通りにいかないこともあった。

だけど、コロナだから仕方ないよねなんて全く思わないし、うまくいかなかったら「私はコロナに負けたんだ」と思う。だから、結局、今までにない結果につながった。コロナのおかげが大きいけど(笑)

子供の頃からこんな感じなので、何かを達成したり褒められたりして「嬉しい」とはあんまり感じません。

今でもご感想で嬉しい言葉をいただくことはあります。

でも、「(自分の中では今まで受講しないという選択をしていたけれど)今回受講してよかったです」と言われると、「うーん、最初から一日も早く受講したほうがいいって言ってたのになあ」と自分の影響力のなさにがっかりする。

また、「そりゃあ時間もお金もそれなりに投資してるもん、自称聞き上手の皆さんとはわけが違いますよ」と思う。

一方で、「達成感」は感じる。

特に、勝負事で「勝った」と思った時は、よっしゃ!!!!と思う。

あざらしくんは、私がいつも物事を勝負ごとと捉えることが不思議で仕方ないみたいだけど、私に言わせれば、見え見えのお世辞を素直に喜んだり、たいして考えてもいない言葉で褒められて喜んでいるおめでたさの方がわからない。

こんな私はあざらしくんからすれば可哀想な人らしい。なんでそこまで追い込む必要があるのか、と。

自分では追い込んでいるつもりはないのだが、やりきったと言えるまでやりきると、嬉しいとか悲しいとかあんまり感じない領域になるんじゃないのかなあと思う。

 

 

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