おひさまようこ活動をやってきて8年。
この8年間で、人はどうすればよくなれるのか、何が理由でよくなれないのかを私なりに考えてきた。
そして、現段階でたどり着いた結論。
よくなれない理由を一言で言えば、「自分のこと過大評価しすぎ」。
この結論に達するまでに、ずいぶん長いことかかった。
私の講座に参加してくださる方は、みんな「頑張って」いる。
やるべきことをしっかりやって、周囲の人に失礼のないように、ミスのないように気を配って、休日出勤もいとわず、寝不足でも気合いで起きる。
だけど、厳しい言い方だけど、「頑張って」さえいればいいんでしょ、と思っている人がすごく多い。
実際、「頑張って」さえいればそこそこの結果も評価もついてくるから、まあそれはそれでいいっちゃいいのかもしれない。
だけど、その「頑張り」は、内容もレベルも、全部他人が決めたものだ。
他人が望むことをすれば、そりゃあ評価はついてくる。ただし、「都合の良い人」って評価だけど。
そう伝えると、「そうなんですよね〜だからもやもやするんですよね〜」と受講生はおっしゃる。
「それでも、もらえないよりはまだいい、だって、自分は、これと言ってなにかあるわけではないんだもの」って、言わないけど、そう伝わってくる。
これと言ってなにかあるわけではないから、自分に向き合うこともできない。
自分や今の現実にに向き合っちゃったら、何もないって(自分にも他人にも)バレちゃうから、「もやもやするんですよね〜」でとどめておく。
生きるための知恵だと思う。
この世の中でなんとか生きていくために、うまーーーーくごまかすことは、私は必要なことだと思う。
だけど、それはあくまでも緊急避難的なものであって、
体調がイマイチなときに、何も正面からがっぷり組合わなくてもいいじゃない、なのであって。
いつもごまかすことをマスターしちゃった先にあるものは、「間違った過大評価」だと思う。
うまくごまかしてきたことに本人が騙されちゃった感じ、というか。
他人の決めた基準を満たすだけの都合のいい人だって最初はわかっていたのに、それを続けていたら、自分がもらう「良い」という評価は、「都合が良い」という意味だったことを忘れて、「良くできているね」という評価だと勘違いしてしまっていることに、自分では気づけなくなっている。
問題がないことがいいことだと長年思う癖をつけてきたから、「問題がない」ことが良いことだと勘違いしてしまっていることに、自分では気づけなくなっている。
こうなってしまうと、なかなか私の指摘も理解できない。
他人が求めていることと自分がやりたいことは違うよね?
「問題がない」ことと、自分が「こうしたい」ということは違うよね?
たったこれだけのことが、わからなくなってしまう。
でも、過大評価しちゃってるから、今の自分ができていないことに目を向けることも、成長のために努力をすることも、できなくなってしまっている。
「こんな自分はもう嫌だ!変わりたい!」と心から思えない程度には、自分のことが好きだし自分はそれなりにやってきていると思うようになってしまっている。
「やる気が出ない」なんて言っちゃうくらいには、余裕たっぷりになっていることにも、気づけなくなっている。
こういう方に個別講座で話を聞くと、「○○さんが非常識すぎる」とか「こんな状況だから●●ができない」とか、まあ他人や環境のせいにする話ばっかりで。。
本人の話をしようとしても「いや私は悪くない!!!!」の一点張り。
(もちろんですが、「私は悪くない」は過大評価で、あなたが悪いんです)
結構まずい話がボロボロ出てくるのですが、認知症みたいな感じで、本人は意外と平気なもんなんですよね。
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