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【雑感310】過去の体験の捉え方

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大人になれば、誰しもしんどい経験をすることになると思う。


病気になったり、身近な方を亡くしたり、ひどい仕打ちを受けたり。

でも、その経験をしたという過去は変えられないから、その経験をどう活かしていくかという話をするしかない。それが、どんなに理不尽で、どんなにひどい経験であっても、だ。

もちろんこれはバキバキの正論で、

しんどすぎて活かす発想が持てないこともあるだろうし、

仮にそれが自分のせいで引き起こされたことだとしても、その原因が自分にあると認めることのしんどさから永遠に自分以外のなにかのせいにしてしまうこともあるだろう。

私は個別フォローでよく出会うのは、親とか教師とか上司とかの目上の人からひどい仕打ちを受けたという話。

私が聞いている限りでも、そいつはひどいなあと思う話ばかりだ。

現在に至るまでトラウマになってしまのもわからなくはないし、私はそこまでひどい経験をしていないのでシンプルに気の毒なことだなあと思う。

最初のうちこそそう思ってあまり突っ込んでこなかったけれど、受講生との関係が2年3年と積み重なっていくうちに、受講生の方の現在地がはっきり見えてきたり、私の捉え方にも変化が出てきた。

つまりは、過去のしんどい経験をどう活かしていくかという話をするべきだと思うようになったのだ。

私が聞くたいていの過去のしんどい経験は、一番古いとまだ本当に小さい頃の話なので、40年前から始まり、最新のものでも20代半ばくらいまでの話なので、最新でも20年近く前のことになる。

この事実に気づいた3年前くらいはなんでこんな古い事例ばかり聞くんだろうと思ったけど、ある意味当たり前で、

そのしんどい経験をきっかけに、言動や考えがどんどん閉鎖的になってしまって、新しい経験や考えが入りにくくなってしまうからだ。

このままだとずっと過去のしんどい経験から成長しなくなるし、私が出会うのは(幸いにも)経験から20年〜40年経過しているので、しんどさを癒やす「時」の力を借りることができるのだから、これはちゃんと過去と向き合ってもらおう、と思うようになった。

そうは言っても実際のところはあれから2年3年経つけれど、まだ向き合えてないことのほうが多い。

だけど、2022年12月のとある出来事をきっかけに、10年プロジェクトでは、「人づきあいの基礎シリーズ」と銘打って、続き物の講座を行うことになり、少しずつ前に進んでいる。

 

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