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【雑感314】自己肯定感について、10年プロジェクトルール<前編>

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世の中には「自信がない」という言葉がある。

語法としては何かをやらない言い訳として使われることがほとんどで、もはや言い訳を通り越して正当化事由としての貫禄すらある。

「自信がないからできない(=やらない)」と言われてしまうと、言われたほうも「そっか…仕方ないね」と返すしかないし、

自信があるとかないとか四の五の言わずにやっている人は「自信があるから(あの人は特別だから)できるんだ」と言われる始末。

しかし、積み重ねを大事にしている我がコミュニティでは、そのへんの話は一切通用しないと思ってもらいたい。

できているのは、自信があるからではない。積み重ねているからだ。練習しているからだ。

できていないのは、才能がないから、もしくは、積み重ねていないからだ。自信がないからではない。

何度も言うが、できていないのを責めているのではない。

ただ、特別な才能もなく練習もしていないのに、それができることは物理的にありえないと言っているだけだ。

積み重ねの時間(機会)とお金をどこまでかけられるかは、その人の環境やどこまで求めているかによる。

だから、どれだけそこにかけられるかは、その人がどこまで求めているかによるわけなのだが、求めているから全振りできるかというとなかなかそうもいかない要素がある。

それが、いわゆる「自己肯定感」というものだ。

自己肯定感が高いか低いかという話は、自信があるないと比べると若干自己認識はしづらいかもしれない。

かくいう私も、「自己肯定感は高いですか?」と言われたら、別にそう高いとも思っていないけど、「(実力で)ねじ伏せてやる」という言動が息を吸って吐くように出てくる時点で、おそらく自己肯定感は低くはないのだろう、と思っている。

私の自己肯定感の高さは、サバイブの結果からくるものだけど、これはかなり異例のパターン。

多くの場合、自己肯定感は幼い頃の周囲の人のかかわり(多くは、親)の影響を受けてしまう。

だから、そのかかわりの関係で自己肯定感があまりもてないのは、仕方がない部分が少なくないと思う。

そのことはある程度わかったうえで、言う。

(来週に続きます)

 

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