旅行を通して、不可能だと思っていたことを実現できた頃、10年プロジェクトではいよいよ「毎日の」釜活が定着し、次のフェーズへ入っていくことになりました。
この段階で多くのメンバーが10年プロジェクト(まだ当時は釜活)を去っていきました。
私が向かっていきたい方向やありたい姿が、メンバーのそれとはどんどん離れていくのを感じました。
例えば、釜活は「毎日」やることに意味があります。
毎日を一定のリズムで刻み、外からの圧力に負けずに淡々と自分のやりたいことを積み重ねていくことは、「余裕のあるときにだけやる」というような姿勢ではできません。むしろ毎日を余裕のあるものにするために行うのが釜活なのです。
それをどこまでもこだわる私。メンバーはそこまで求めていないことはわかっていたけれど、釜活を続けていたからこそ、釜活を「毎日やる」ことの価値もまたすごく実感していた頃でもあったのです。
実は開始当初に、私自身が釜活に救われる経験をしていました。
仕事で2日続けて徹夜しなければ終わらない厳しい状況になりました。寝る時間すらもないのだから、もちろん釜活をやっている余裕もありません。
でも、だからこそ、メンバーにこんな状況なんだとシェアして、それを見たメンバーからの応援メッセージから元気をもらいました。
また、こんな状況だからこそ、余計なことをやっている時間はまったくありません。宣言する内容は、「今目の前の仕事を終わらせる」しかない。
みんなの前で仕事を終わらせることを宣言したことは、私にとっては気持ちの切り替えに繋がって、今目の前に集中することができ、余計なことは後回しにしてなんとか納期に間に合わせることができました。
(この徹夜の原因を作った人にものすごく説教したかった笑)
このことは、当時釜活をやっていたメンバーだったら、知っているはずです。だから、毎日釜活をやることの重要性も伝わっていると思っていました。
だけど、人間なんだから無理とか休みの日までどうしてやらなきゃいけないのかという反発を受けたり、釜活は考えることに意味があるのに毎日テンプレの宣言をして◯✕つけるメンバーも多くて、結果的には、なかなか価値を伝えられませんでした。
成長できる環境であることに共感して入ってくれたはずなのに、そこまでは努力するつもりはないという言動に次々とぶつかったり、
「自分の人生は自分で作ろう」という方針に共感してくれたはずなのに、「会社で与えられるノルマが自分の目標ですけど何か?」とまるで矛盾することを当たり前のように言われてしまったり、
とにかく、10年プロジェクトのコンセプトを伝えるために、孤軍奮闘し続けた、30代後半でした。
何度も何度も何度も何度も伝え続けて、伝わらないことのほうが圧倒的に多くて、30代は終わりました。楽しいことや嬉しいことより、しんどいことのほうが圧倒的に多かった30代でした。
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