10年プロジェクトで勉強会を行いました。
テーマは、「自分に向き合う」。
10年プロジェクトでは、毎月、「今、自分に向き合って思うこと」というタイトルで文章を書くのですが、「考えている」と「向き合っている」は明確に違います。
でも、何が違うんだろう?
ご感想をシェアします。
◆本日のご感想◆
・自分と向き合えているかの話の中で、結論を出すことが大事ではないとの話に少し安心感をもった。
結論が出ずにぼやけた状態は、どう考えたら良いかわからなくなってくるからだ。この状態は考えることをあきらめてしまいがちにもなる。だから、結論を出すことが大事ではないことに、甘えてはいけないとも感じた。
私は悩んでる状態は行動を止めてしまう。向き合う内容にもよるが、悩んでいる中でも決めて行動することで、別視点からの気づきを得られる機会に遭遇できるのではないかとも思った。
結論だすことにこだわりすぎないことは念頭におきつつも、悩む状態からラクして逃げないようにしたいと思った。
前半の新幹線のシートを倒す話は、一般常識だからと思って声かけをしていたが深く考えたことがなかった。世の中の常識、世の中でよく言われていることってだけで、そういうもんだと思いこむ習性があると思った。
また、他者からの同意があることは安心感があると思う。私は意見を言いうことに慣れていないこともあり、同意をもらえることはとても安心感があるが、これもまた思考停止につながっているのだと思った。
自分基準をもつには、日頃からモノゴトに対して考えることができているかどうかが肝になってくると感じた。これは陽子さんの講座ではいつも伝えてくれているメッセージのにように思う。その都度できなていないことを実感させらる。
ちなみに、笑顔であいさつを定常的に行うことでの好感度効果を改めて感じた。
終りの方(本編外)での、私が意見を言い合うことがケンカとして受け取ってしまうことは、自分の考え方がおかしいと改めて実感。この思考を根本的に変えていかないと、万が一ジャッジができてもコメントできるようにならないと感じました。
ありがとうございました。
(さちえ 40代女性 東京都)
・ 自分と向き合った文章を書くという「野生ポスト」。この投稿へのハードルを超えるまでに2年はかかったと思います。
陽子さんが管理業務の最前線から退かれるということになってから問いかけられた「野生ポストジャッジ」について、再びハードルを感じている中での勉強会でした。
前提として一般常識ではなく、自分なりの判断尺度が出来ているのか、というところについて、簡単な例題「乗り物の背もたれを倒すときに後ろの人に声を掛けるか」だけでも、他の参加メンバーと陽子さんとのやり取りを聞いて考えてからでないと、何故自分がそう考えるのかが出てこないということに愕然としました。
それだけ日々「深く考えない」ことを繰り返しているのだと思います。
「ジャッジ」という単語から「法廷での裁判官の裁き」をイメージしていたのですが、そもそも法廷の裁き自体もゆらぎがあることも聞き、「野生ポストのジャッジ」は考え方の違いを伝えることで相手の試行を深める手伝いをするというところにストンと落ち着きました。
数年後には目標値が変わってくるのだと思いますが、今はまず日常での自分の判断の明確化と、メンバーに考えを伝える練習を続けようと思います。
(A.S 40代女性 北海道)
ご参加いただいたみなさま、本当にありがとうございます。
そして、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
みなさまの人生がより自分らしく、楽しく充実したものになりますように。
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