10月末から11月初旬のこと。
(月)〜(土)で結構ハードな1週間を過ごしてきて、
朝から新幹線に乗って旅行。
アスレチックやってジップラインでフルスピードで山に体当りしてウッドチップまみれ、セグウェイをウェイウェイ乗り回して、日が落ちたらスタバに行って23:00まで一心不乱にアウトプットしたり作業して、ホテルでヨガやってから寝て、
翌朝もヨガから始まってフルドライブで夜の新幹線で帰って新幹線でもフル集中で作業して24:00に寝て、
翌日10kmサイクリングしてガチフォローやって、結局トータルで9時間スタバにいた。(もちろん追加オーダーでつないでます)
「すべては体力だから。心技体というのは嘘で本当は体技心なんだ」という親の教育で、とにかく子供の頃から運動してわりと体力筋力ともにずっと人並み以上にあったけど、こういうとき、ほんとそうだなと思う。
自分でもここ最近のハードさと個別フォローのガチさを考えるとちょっと呆れるくらいの体力と精神力だ。
これはさすがに他人に同じことを求めてはいけないと思う。
人よりも優れているところを自分で認めると、人に優しくなれる。
マネジメント層はもちろんのこと、ちょっとした後輩指導でも、これだけでいろんなことが解決できる。
正直、マネジメント系のビジネス本で知識だけインプットしてもなんも変わらない。最高のアクションプランは、自分は人よりも優れているということを認めることだ。
いろんなところで言っているけれど、なかなかそれをわかってもらえない。
若い子はそもそもまだ実績がないので仕方ないにしても、30代以上で、それなりにやってきたのであれば、わかってもらえると思ったのだが。
だけど、このガチンコWEEKを過ごして、気づいた。
自分の「人よりも優れていること」が中途半端だからなのではないだろうか。
中途半端なレベルだと、自分よりすごい人にあっさり出会ってしまう。そして(相対的に)自分は特別ではないと思ってしまう。
この理屈で言うところの「人に優しくなれる」ということは、自分ができるからと言って他人もそれができるとは限らないと思えることだ。
「人に優しくなれない」ということは、こんな(普通の)自分でもできるんだから、それができないってことは努力が足りないと思ってしまうことだ。
中途半端にそこそこできるというような程度というのは、思ったよりも残酷で厳しい状況なのかもしれない。
プレイヤーとしても中途半端だし、マネジメントとしても下の子が伸びない。
自分自身のことを思い返しても、人にはできないアプローチで、人には出せない結果を出してからが、本当に優しくなれた。
私の場合は、能力だけでなく、体力とか精神力という人としての基盤の部分も、それなりに苦労してきただけあって、そこそこの自信がある。
そのベースになる「それなりの苦労」は、今でもしないならしないに越したことはない苦労ばかりで、それを避けてきた人を到底責められるわけもない。
だから、優しくなれたんだな。
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